けっこういかつい
E3系基本番台、R6番ヘセ。
見た目けっこういかつい。





考えてみたら、E1、E3、E4系は乗ったが、まだ、E2系は乗ってない。

帰りもリーサルウェポンだし(^^;)
| 11:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
新幹線も
MAXではなく、200系です。
むしろ、新鮮な感じですねぇ。

| 16:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
クロハ481-3004
お世話になりました。

これが乗り納めにならないことを祈ろう。








| 16:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
いまとなっては
グレードアップ編成とはいうものの、簡素な室内。
とはいえ、まとまりがあり、好感がもてますね。

| 15:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
車窓から
車窓から剱岳を望む。

| 14:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
今となっては
485のボロさが懐かしく感じる。

幼少のころ、オハ35とかスハ43、ナハ10あたりが鈍行列車、たまに乗るのが急行で、秋田の非冷房キハ58、という時代、485は夢だった。

小学校のころ、初めての一人旅は兄弟分の583型だった。

18歳、家を飛び出して、遠く800km近い、遠方の大学に進学した際も、最初は485だった。

それから暫く、夢破れて帰郷し、再び飛び出したときも485だった。

大学院に合格し、夢叶った連絡をうけたのは、やはり兄弟分の489型の車内であった。

もうしばらくすれば、485は過去帳入りし、MT54の唸り声も聞けなくなるのだろう。
看板列車だった雷鳥も最長列車だった白鳥も、もはやない。

そういえば、ある試験に合格して、親爺に報告のため帰郷した時は、やはり上沼垂色時代の白鳥だったか。

結婚して、新婚旅行からの帰りも485だった(クロ480ー2301)。

節目節目に485があった。あと何回乗車できるだろうか。少し寂しく感じられます。

| 13:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
久しぶりの鐡ネタ
今回はJR西日本の某看板列車にて往復したのだが………

看板列車の編成は

行き(上り)
683-4000の9両編成

帰り(下り)
681-1000の6両編成+683-0の増結用3両編成+683-3500の増結用3両編成

である。

今回はじめて、683-4000に乗車したうえ、帰りが683の基本番台だったので、比較検討が可能だ。

発表控えていたため、写真を取り忘れていたのがちと痛いが…。

683-4000では、以下の点が改善されたと考えられる。
網棚
定員
編成の簡便さ
しかし、以下の点は改悪されたとしか思えない。
座席
座席に附帯する設備
列車室内の質感

まず、よいところから。
網棚が、広くなった。
大きめのボストンバッグが軽々入るようになった。改悪された点にもつながるが……
編成が元々9両編成固定であるので、増結用編成と基本編成との間に、運転台がなくなる。そのぶん、車内空間が有効活用できるようになり、また同時に、車輌間の移動はし易くなった。
また、車輌のモーターやインバーターの差異のせいか、或は防音構造の為か、車内は静かである。
また、従前では基本編成と増結用編成との間に整備状態の差があったためか、時々えらくギクシャクとした乗り心地になることもあったが、少なくとも基本の9両編成で運行される限り、問題となる可能性は低くなるだろう。

では、改悪されたと感じられた点を
シートとシート脇のテーブルが、ものすごくチープな感じを受けるようになった。
これは痛い。プラスチックそのものと言った印象は、やはり使う乗客に、快適な車内空間を提供しているとは言いがたい。今回は普通車指定席(ハザ)のみの比較ではあるが。
また、網棚に余裕が出来たのも、間接照明の設備が薄っぺらくして空間を広げたのではないかと思われる。この点は、あくまでも筆者の邪推ではあるので注意されたい。
なお、681のグリーン車にはテレビモニターが装備されていたが、後に運用停止になった。これも改悪ではないだろうか?

看板列車はあくまでもトワイライトエキスプレスという考え方も存在するだろう。ただ、日常的に利用するレヴェルの列車ではない。
一般的に、関西地区から日本海がわに移動する際に、普段使いの感覚で乗車するレヴェルの車輌は、しばしば触れるだけに、余計にハイレヴェルな車輌を投入するべきではないだろうか?

また、681が登場した際の、先頭車輌のインパクトは鮮烈だったが、683のデヴューに際して、先頭車輌はグリーン車を除いて、貫通型となった。グリーン車についても、かなり簡便なつくりになったため、インパクトは低くなった。もっとも、ライト周りのカラーリングはさらに精悍な印象になったし、一部の列車で、金、土、日や多客期を中心に12両編成で運行されることとなり、混雑の緩和という点では貢献している。

しかし、両方向貫通型運転台となり、グリーン車側の方は実際には貫通準備装備、と聞くと、流石に呆れてくる。

定番の車輌だからこそ、乗客に快適かつ利便性のある車輌を開発する必要があろう。
いくら新幹線開業が迫っている中での増備とはいえ、安っぽさが目立つようではいくらなんでも手を抜きすぎである。

かなり、ファン心理が入った感想であるために、偏見もあるかと思う。その点は、配慮してこの記事を読んでいただけるよう、読者の諸兄にはお願いするものである。


なお、ご存知の方がおられるのであれば、コメントを頂きたいのだが、683-4000では、デッドセクションで車内の照明が消灯した。
この日は、湖西線が強風の為、迂回ルートでの運行となったので、デッドセクション近辺を低速で走行しており、そのためかもしれないが、もし仮に485時代よろしくデッドセクションで車内灯が消灯するようにしたのであれば、明らかな改悪なのだが、ご存知の方がいらっしゃれば。
| 21:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
やはり
??.JPG

新幹線は“ひかり”だ。

“のぞみ”ではない。



| 17:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ちなみに
??.JPG

こんな感じの列車Death!
ふははははーっ



| 13:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
夜汽車のおもいで-夜行列車廃止の時代に…
私は、何か事ある毎に、夜汽車を移動手段に、選ぼうとする。
思えば、子どものときから、汽車が大好きであった。祖父や父親が、仕事で遠方に出かけるのを、少し羨ましく、感じていた。
いつも土産は、青森の津軽飴か、ゴンチャロフのチョコレートであった。今でも遥の地へ出かける機会があると、ついつい同じものを求めてしまう。そして、やはり、飛行機ではなく、汽車、それも夜汽車で出掛けようと、画策してしまうのだ。

学生時代、私は家への反発から、遠く離れた地で過ごした。なかなか帰る機会は少なかったのだが、そのときも、決まって夜汽車を選んで帰っていた。
大学院生になってからも、学会やら、研修会やら、遠くに出かける折には、やはり夜汽車を選ぶことが、多々あった。
敢えて飛行機を選んだのは、臨床心理士資格試験受験の折、その日に限って国内航空会社から引退間近のMD-11が充当されるのを聞きつけた時、ぐらいであろうか。

思い出深いのは、やはり通称大垣夜行(342M、345M)と臨時大垣夜行(通称大垣夜行救済臨)、急行銀河号だったと思う。
単に、若かったから出来たのかもしれないが、大学院修士課程時代、青春18きっぷで、東京まで救済臨で出掛けたこともある。何とか座席は確保したものの、クモハ169のボックスシートでは浅い眠りにしかつけず、寝不足のままハードな研修会に参加し、ものすごく疲れた思い出もある。
大垣夜行といえば、「ぎょぴチャン」と呼ばれていた、名物車掌さんも忘れられない。本当にぎょぴチャンそっくりの顔で、なかなか味のある、車内放送をすることでも有名だった。

大垣夜行が「ムーンライトながら」になってからは、救済臨にばかり乗っていたように思う。一度コミケの前の日に乗り合わせた際には、車内で既に、コスプレ大会になっていたのも、懐かしい思い出だ。もっとも、MT54の唸る音以上に車内が騒がしく、とても眠れたものではなかった。

初めて学会で発表したときに、上京手段に選んだのも、夜汽車だった。この時は、流石に、大垣夜行は選ばなかったが、それでも、急行銀河号で東京に向かった。寝台料金も、東京のホテルで一泊することを考えれば、十分にモトがとれると、考えていた。
緊張してなかなか寝付けず、B寝台車の狭いベッドの中で、何度も何度も、ポスターを読み返したのも、覚えている。これも懐かしい思い出だ。
だいたい銀河号では、隣の寝台の方々と一緒に、麦酒を酌み交わすことも少なくなかった。本当に一期一会という言葉がしっくりとくる、不思議な空間だったと思う。

春のダイヤ改正で、大幅に夜行列車が削減され、急行銀河号も過去帳入りしてしまった。

今度は、ムーンライトながらも廃止が検討されているという。時代は変わったのか。
多分、自分のときは、地方にいる焦りと、中央への憧れで、意地になって上京しようとしていたのかもしれない。

それだけ、貪欲だった。

ただ、それ以上に、鉄路が遥か彼方まで続いていることへの、ロマンみたいなものも感じていたと思う。鉄路の先には、東京も、稚内も、鹿児島もあった。日本のどこまでも、続いている、と。

夜行列車に揺られていると、そういう感傷に包まれるのだ。少なくとも、私の場合は。

今は、みんな、高速度で、快適に、移動することに、価値を見いだす時代なのかもしれない。
夜汽車に揺られるよりも、速く快適な、飛行機や新幹線の方が好まれるのだろう。私など、旧時代の遺物なのかもしれない。

ただ、高速で移動していると、なぜだか解らないが、自分が得るものが、薄らいでしまうように、感じられてしまう。

大学院生時代のように、貪欲さがなくなってしまったのかも、しれない。

スピードもいい。一分一秒を争うのも、時には必要な事だろう。しかし、何かを、忘れていないだろうか。大切な、何かを…
| 23:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |